花にもファッションと同じようにトレンドがあり、その時の流行に合わせて、新しい品種が年々作られる。
私も長年、そんな新しい花を誰よりも早く手に入れようと、日々努力していた。
そんなある日、花市場で、仲卸の社長さんに「この花、素敵でしょう。
まだ販売していない、新しい品種だよ」と差し出された花を見て、一瞬ぎょっとしてしまいました。
その花は、私には美しいというより、グロテスクに映ったから。
周りにいた花屋さんが皆口々に「素敵〜」と盛り上がっている中、私一人、その場から静かに退場。
それ以来、姿形の珍しさを追い求める気持ちが急激に冷めていきました。
美しさとグロテスクさの境目は、どこなのでしょう。
品種改良は、偶然の突然変異や遺伝子操作によるもの。中には、病気や奇形だったものが、その見た目の珍しさからあえて新しい品種として商品化されることもあります。
人が森で暮らしていた頃、この植物は食べていいのか、ダメなのかは、生き延びる上でとても大切な能力だったでしょう。それはたぶん、何を美しいと感じ、何をグロテスクと感じるかという能力と直結していると思います。
人間の力ずくで品種改良された花たちは、果たして健やかなのでしょうか?
健やかなエネルギーを持つ植物をお届けしたいと思うのです。
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