日々の花をいけるとき、誰かや何かに具体的に向けているわけではないけれど、「花をいける」というより、「花を手向ける」という表現の方がしっくりするな、ということに、最近気がついた。
花をいける行為や時間が、それまでざわざわしていた私の心身を鎮めてくれる。
そうして、健やかに生きるエネルギーが内から湧いてくるのを感じ、満ち足りた気持ち
になる。
日々の花をいけることは、大自然に身を委ねる感覚と似ているように感じる。
私にとって、花をいけるということは、暮らしを素敵にするといったことでは全くなく、日々のご飯のように、心身にエネルギーを補給するために、切実なものなのだ。
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